9月9日

重陽の節句でした。
今年最後のお節句です。

私は友人から教えてもらった
犬鳴山七宝瀧寺という 山奥のお寺にお参りに行ってきました。

実際、そこに行くまで
ずーっと しつこく 何度も何度も
そこのサインが来ていて…
ぶっちゃけ 嫌になるほどでした。

意識に浮かんだから
サインが来るのだと思います。

ネットでよく目にする
広告表示と一緒です。
閲覧履歴から
似たような傾向の広告を
出してきますよね。



それにしても、

そもそも そこは
その存在すら知らなかった…
知識としては 
全く持っていなかった場所や単語でしたので
頭の中、記憶の中にないもの、なわけです。
それでも 何かがザワザワする。
身体の中で なんか反応してる。

とまどいますよね、普通。

そして…とにかく
そこに向かって動く。
(ことにしています)


その一連の流れに
いろんな人が 乗っかってきては
一種に旅をして それぞれの方も
自分にとっての 意味を見出して行く。
私のリトリートツアーもそうです。

(来春まで 4つのツアーが決まっていて 既に 満席です。感謝🌹)


誰かが 動かないと
起こらない事ですし
誰でも良い訳でもない。

一人でも 行くけれど
大勢でも 楽しめる
土地と人、人と人、過去と今と未来
出会いの繋ぎ、気づきの起爆剤…
先導役をさせて頂けるのは
有難い事だと思います。

そして その役割が 不自由なく
いつでも直ぐ出来るように
経済も 仕事も 人間関係も
全て 円滑にまわっている。

余計なエネルギーは
必要無いし
余計な心配もいらない。

すごいシステムになってます…。





瀧寺は 役行者が開祖と聞いていましたので
龍神様や不動明王様が 沢山いらっしゃるのかな?なんて思っていたのですが
案外とクンダリーニやシャクティに関するエネルギーを感じる興味深い場所でした。

迫力ある水の流れを あちこちで見て
森の中の 新鮮な空気を浴びて

山を降りる頃には
体に溜まっている 自分ではないエネルギーはみんな さっぱりと振り払ってこれたようで 身も心も 非常に軽やかになりました。


🧘

一人一人が 自分の宇宙を持っていて
それぞれ見ているものが違う。

影響を受けあって 存在をしていますが

サイキックな能力のある人が
言ったことでも
影響力のある人のアドバイスだとしても
取り込むか 排除するのかは
自分次第。


私は 常に
3割以下で受け止めているような
感じです。


なるほどね…
そんな事もあるかもね…
要するに参考程度。



余白を持つことって
大切です。


9/9は 父の命日でもあって

朝、満月に見立てた黄色の菊を飾って
先日 川越で買った蝋燭とお線香で
ささやかな供養、のつもりです。

今日、私が 見るもの、聞くもの、知るもの
そして食べるものは
みんな、あの世の父や母に届きます。

ご先祖様に 届きます。
私は元気にしています。
感謝の想いで 一日を過ごしました。



9月9日は
陽(9)が極まって
陰に転じる変わり目でもあります。


2、3年前から?
この頃、街中で 
お雛様をみかけるようになりました,


9月9日は「後の雛(のちのひな)」といって
虫干しの意味から
おひなさまを出す風習が
京都にはあるのですね。
王朝文化の 風雅な 名残り。

菊に着せ綿をして
つゆにぬれた綿で身体を拭くと
長寿が得られる、とか

菊の花を浸したお酒を飲む、と言う
魔除け、厄祓いの風習もあります。

キク科の植物は薬草としての効能も高いので
それもこれも
理にかなってるな、と思います。





🧚‍♂️

この世の8割ほどは 見えないもので
満ちています。
私たち人間の肉体を構成しいるものも
同じです。


目に見えない想い が 
病を治すこともあるし
遠い相手に 通じる事もあります。


何かが極まって 反転する時
一種の真空状態が 生まれる
と、昔の人は 考えたのでしょう

ビックバンが生む 真空もそうだし

巨大な質量の惑星は
自らの質量の生んだ真空に吸い込まれます。

膨張が極まると
反転して 虚数の世界を
創り出すのでしょうか…
ほんと さっぱり意味がわからないですね。





今年の9/10は 満月でもあります。
満月は成就のイメージ…
成就は 感謝に繋がります。

真空の新月に放った想いが
形になる
そういう考え方も あっていい。


…それもやっぱり3割以下に 
しといた方がいい、とは思いますけど(笑)













Cheers!by masamin

しくみを知る人 「見えない世界の見える世界への影響と その仕組み」 についてナビゲートしています。

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