美味しいケジャンとルーツ

コロナ騒ぎで外出する気が起こらず。

もともと仕事は オンラインでしていたので
用がなければ どっか行こう、とも
思わないのだけど

気が向いたら ふらっと行っていた
京都のワインバーやイタリアンや
割烹のマスター達はどうしてるかなー?

あの美味しかった生ハムとか
テイクアウトくらいしたいな〜

なんて思うと 少し寂しい😭

昨日、隣町の堅田の友人が
琵琶湖大橋渡ってこっちに きたみたいで
「ピエリ守山におるでー」とラインがきて
ちらっとお茶しに出かけた。

私も1時間後にセッションがあったので
ゆっくりできなかったけど
元気そうな顔見れて 何より何より。

お土産に 真野の潰れそうな、でも激ウマの
キムチ屋さんの
「ケジャン」を頂きました🦀

あー、これ 
忘れてた!

めっちゃ美味しいやつ!






すごく辛いので 
渡蟹の脚、一本づつ食べることに(笑)

周りのソースにはマヨネーズを混ぜて
きゅうりに付けて食べました。
んー幸せ💓
うちの父方の先祖、というか
祖父、曽祖父のいろんな資料を預かってしまい😭

その整理をしている。
山のような写真…

デジタル保存したり
ネガを探したり
もー、いつ終わるの、これ…だ。


その中には
吐き気がするような
関東大震災や東京の空襲の写真まであり
死体の山、なんかもモロに写っている。
どうも家のすぐ近所のようだった。


これを撮影していた曽祖父、大叔父の
当時の心境は どんなだったろうと
悲しい気持ちにもなった。




うちの父は
当時は 牛込、と呼ばれている地域に住んでいた。
曽祖父から叔父から叔母から ビッグファミリーで皆、近所に住んでいたらしい。

疎開などもあり
あちこちに分かれて暮らしたのだろうと思う。

なかなかの裕福な家庭ではあったのだけれど
それ故の大変さもあったらしく
江戸時代から大切に持っていた
資料や家具は ほとんどが没収か盗まれたか、空襲で焼けたか…失われている。


父の姉の結婚式の写真。
昭和33年とある。

これは 比較的新しい方の写真。
カトリックの教会でのお式だったということで
神父様とツーショット。

私はお目にかかったことはないけれど
そういえば父に似てる?(笑)




東京大空襲は昭和19年頃。
最初の古い卒業記念アルバムは昭和2年の春。
つまり、あのアルバムの中の 坊や達が卒業してから7年後あたり。
みなさん、20歳くらいかしらん?

大叔父のメモには海軍に入隊、というのがあり
みんな戦争にいったんやな…と思うと
なんだか 泥水を飲んだような気持ちになった。
この時の国民は
戦争に反対なんかできる空気では 
絶対に無かっただろう。

そんな遠い昔でもない話なんだけど。


今も…そんなに変わらないのかな…




Cheers!by masamin

しくみを知る人 「見えない世界の見える世界への影響と その仕組み」 についてナビゲートしています。

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