死を意識する日々

雨です☂️
でも ひんやりで心地良い。

この景色もあと数週間で見納め。




実は今 身内が危篤中でして
…と言っても

高齢で ずーっと何年も老人向けホスピスに
入院していたので
なんとなく みんな心の準備ができていて。
(心だけでなく 全ての準備も出来ていて)

いつになるか、わからないその日まで 
私達は 自分の日常を過ごしています。



特別なような 普通なような
そんな毎日。
いつもと違うこと、と言えば
…死とか 期日、を
かなりリアルに意識しているかな…


「お葬式 近いんなら忙しいでしょう?」

と、心配してくださる方も多いのですが
このご時世ですからね。

コロナやし
大人数のお葬式は控えた方がいいやんかー
親族一同のまとまりもバッチリ。



なんどかフライングの呼び出しがあったりして
その度に病院に行き
…あら、案外元気そう、みたいな繰り返し。

それはまるで
赤ちゃんの誕生を待つタイミングのようで
なんだか不思議です。


だからと言って

いつもそればっかり気にして
全てを そのために
我慢して 仕事もせず 笑いもせず
楽しみもせず、と言うのは
全く違いますよね。




それが起こる日時もタイミングも
あらかじめ決まっている。


これは どんな事であっても
かわらないと思っています。
何一つ、特別なことは ありません。



親子であれ
夫婦であれ
友達であれ

何千年と人間が繰り返してきたこと。



ともかく今は
そんな日々から
学ぶ事が沢山。



ありがたい機会を頂いているのだと
またも感謝がこみ上げてきます。




それにしても
自分の「やり切った感」ってすごい大切❗️

毎日 ちょいちょい会いに行き
意識がなくても言葉をかけ
聞こえてないかもしれないけど
耳元で音楽を聴かせ
15分ほどで帰る…



頭をなで
好きなアロマオイルを塗ってあげたり
手を握ったり…

いつお別れが来ても
わたしには 後悔が既に無い状態です。


というか
お別れは
既に済んでいるのだな
とも思います。



少し前
愛する猫がちょっとした病気で
あっさりこの世を去りました。
この子の後ろに
チラッと見える茶色の猫が🌈虹の橋を渡りました。
猫に割と多い治らない病気でもあったので
獣医さんからは
「安楽死」という方法も伝えられました。




😭わたしが選ぶのかー😭

と、たじろぎましたが

私は猫がいつもどおりリラックスして 
過ごせる自宅で その日を迎える事に決め
連れて帰りました。

水を飲まなくなり
朝起きると お風呂場に寝ていて…

(猫は 死が近づくと水場にいく、とも言われています)

体を拭いてやったり 流動食を食べさせたり…

やがて少しづつ弱って 痩せ
ある朝、眠っているような顔つきのまま
肉体を脱いで宇宙に還って行きました。




寂しさはしつこく残るでしょうけど…
でも あの子は もう様々な苦しみや痛みから自由になったんだとホッとしてもいます。






夏至前の自分の仕事の準備も進み
万が一の準備も進み
自分を整えつつ

この世には
ほんとうに
特別、なんて無いんだなと
改めて思っています。



生まれて死ぬ

どんな人にもそれが
等しくプログラムされている。


その間の時間を体験すること。
それが私達の使命…

今年の夏至も
沢山 気づきがありますね。



そういえば去年はメキシコで
ブイブイ(死語)言ってたわ…🌵









Cheers!by masamin

しくみを知る人 「見えない世界の見える世界への影響と その仕組み」 についてナビゲートしています。

0コメント

  • 1000 / 1000